東京地方裁判所 昭和47年(ワ)7549号 判決 1976年10月20日
原告
(西ドイツ国)フアルプウエルケ・
ヘキスト・アクチエンゲゼルシヤフト・
フオルマルス・マイステル・
ルチウス・ウント・ブリユーニング
右代表者
ハンス・ハインツ・ロイター
同
ハインリツヒ・ヘルフリツツ
右訴訟代理人弁護士
品川澄雄
右輔佐人弁理士
小田島平吉
同
江角洋治
被告
桂化学株式会社
右代表者
桂広太郎
右訴訟代理人弁護士
阿部昭吾
右輔佐人弁理士
阿形明
被告
東進ケミカル株式会社
右代表者
宗像小一郎
右訴訟代理人弁護士
田倉整
被告
東京田辺製薬株式会社
右代表者
小野常徳
右訴訟代理人弁護士
網野久治
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判<略>
第二 請求原因
一 原告は、次の特許権の特許権者である。
発明の名称 塩基性置換ジフエニルアルカン誘導体の製法
出願日 昭和三四年五月七日(特許願昭三四―一四七三七号の分割)
(特許願昭三七―四〇八五号)
優先権主張 一九五八年五月七日(ドイツ国)
公告日 昭和三八年四月一二日(特許出願公告昭三八―三一二七号)
登録日 昭和三八年八月二三日
特許番号 第三一〇四九〇号
二 本件特許発明の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の項の記載は、次のとおりである。
「一般式:
〔式中Xは最高三個の炭素原子を有する直鎖または分岐鎖の脂肪族炭化水素残基、R1は水素または低分子アルキル基、R2は水素またはメチル基、R3は水素または水酸基、R4およびR5は水素、水酸基または低分子アルコキシ基を表わす〕の塩基性置換ジフエニルアルカン誘導体、ならびにその無害な酸附加塩または第四級アンモニウム塩を得るため、式:
〔式中Yは欠けているかまたは:基―CH2―,CH2―CH2―またはおよびR1は前記のものを表わす〕のアルデヒトまたは式:
〔式中R1は前記のものを表わす〕のケトンを一般式:
〔式中R2、R3、R4およびR5は前記のものを表わす〕のアシンの存在で還元し、必要な場合には得られる化合物を無害な無機酸または有機酸を用いて相当する酸附加塩または常法で相当する第四級塩に変えることを特徴とする塩基性置換ジフエニルアルカン誘導体の製法。」
三(一) 本件特許発明の特許請求の範囲の項に一般式で表わされている目的物質のXに―CH2―CH2―R1、R2、R3、R4およびR5に水素を選んだ化学物は、左記式で表わされる2―〔1’、1'―ジフエニルプロピル―3'―アミノ〕―3―フエニルプロパンで、その乳酸(C3H6O3)塩は、世界保健機構(WHO)において乳酸プレニラミンという一般名で呼ばれる化合物であり、これは原告の技術者達が初めて合成した新規化合物であつて、冠状動脈及び末梢血管拡張作用を有する強心剤として優れた医薬である。<以下略>
理由
一、二<略>
三原告は、仮に被告ら製造販売の乳酸プレニラミンが被告方法により製造されるものであるとしても、被告方法は本件特許発明の方法と均等であり、被告方法により乳酸プレニラミンを製造販売する行為は本件特許権を侵害するものであると主張するので、この点について検討する。
(一) 前認定によれば、本件特許発明では1、1―ジフエニルプロピオンアルデヒドと2―アミノ―3―フエニルプロパンとを出発物質とするものであるのに対し、被告方法では1、1―ジフエニルアクロレインと2―アミノ―3―フエニルプロパンとを出発物質とするものであつて、出発物質の一方に、本件特許発明では1、1―ジフエニルプロピオンアルデヒドを用いるのに対し、被告方法では1、1―ジフエニルアクロレインを用いる点において相違する。
ところで、本件明細書の特許請求の範囲の項には、出発物質の一つであるアルデヒドは一般式
〔式中Yは欠けているかまたは基―CH2―,CH2―CH2―,又は及びR1は水素又は低分子アルキル基を表わす〕で表示されており、右表示によれば、特許請求の範囲の項記載のアルデヒドはすべて飽和アルデヒドであつて、被告方法の出発物質の一つである1、1―ジフエニルアクロレインのような不飽和アルデヒドを含まないことは明らかであり、発明の詳細な説明の項にも、出発物質の一つであるアルデヒドとして特許請求の範囲の項記載のとおりの一般式が記載されており、またそのアルデヒドの具体例として、ジフエニルアセトアルデヒド、1、1―ジフエニルプロピオンアルデヒド、2、2―ジフエニループチルアルデヒドといういずれも飽和のアルデヒドが記載されているに止まり、反面不飽和アルデヒドが本件特許発明の出発物質の一つに含まれることを示唆するような記載は全くないことが認められ、右事実によれば、本件特許発明は、出発物質の一方として右一般式で表示された飽和アルデヒドを用いることを要件とするものであつて、不飽和アルデヒドを用いる方法は本件特許発明とは技術的思想を異にするものと解するほかはない。
原告は、被告方法は本件特許発明の方法と均等であるとし、その理由として、(1)被告方法の出発物質の一つとして用いられている1、1―ジフエニルアクロレインは本件特許権の優先日当時公知であつて、本件特許発明の出発物質の一つである1、1―ジフエニルプロピオンアルデヒドと均等物であること、(2)1、1―ジフエニルアクロレインのような不飽和アルデヒドが種々のアミン、特に第一級アミンと反応して―CH=N―なる結合を持つシツフ塩基を形成することも公知であつたこと、(3)被告方法におけるシツフ塩基が有する不飽和結合C=CH―が接触還元によつて容易に飽和結合に変え得ることも公知であつたこと、(4)本件特許発明及び被告方法でシツフ塩基を生じる反応はアルデヒド基(―CHO)とアミノ基(―NH2)とが反応して―CH=N―なる結合を形成し反応機構を同じくすること、(5)還元を行う点は両者に共通であることを掲げる。しかしながら、仮に右(1)ないし(5)のとおりであるならば、出願人は被告方法を本件特許発明の方法として特許請求することができたはずであるのに、これを特許請求せず、発明の詳細な説明の項にも被告方法が本件特許発明の方法に含まれることを示唆するような記載が全くされていないことが認められるところであり、右事実によれば、出願人は被告方法を本件特許権の優先日当時発明していなかつたか、発明していたとすればこれを特許請求する意思を有しなかつたかのいずれかであると解される。
更に、原告の被告方法が本件特許発明と均等であるとする主張は、前述の(1)ないし(5)の事実を前提として、本件特許発明の方法を1、1―ジフエニルアクロレインを出発物質の一つとして用いる被告方法に置換することが本件特許権の優先日当時容易であり、且つそのことが容易に想到されることを根拠とするものであるが、右主張事実を認めるに足りる証拠がない。すなわち、成立について争いがない甲第九号証によれば、1、1―ジフエルアクロレインの製造方法が本件特許権の優先日当時公知であつたことが認められるが、成立について争いがない甲第七号証(オーガニツク・リアクシヨンズ第四巻)によれば、本件特許権の優先日当時右文献に不飽和アルデヒドと第一級アミンとから第二級アミンが生成されることが記載されているけれども、具体的に1、1―ジフエニルアクロレインと第一級アミンとを反応させて第二級アミンを生成する方法が記載されいているわけではなく、また成立について争いがない甲第八号証(一九四七年のフランス化学会誌)によれば、右文献に不飽和アルデヒドからシツフ塩基が形成される事例が記載されているけれども、不飽和アルデヒドとして1、1―ジフエニルアクロレインは挙げられておらず、これからシツフ塩基が形成されることの記載はないところ、前掲甲第九号証によれば、前述のとおり本件特許権の優先日当時1、1―ジフエニルアクロレインの製造方法が公知であつたことが認められるに止まり、1、1―ジフエニルアクロレインの性質いかんを認めるに足りる証拠はなく、右事実に、まして化学は結果を予測することが比較的困難な技術の分野に属するものであつて、ある不飽和アルデヒドとアミノとの間に生じる反応が他の異なる不飽和アルデヒドとアミンとの間にも生じ、後者が前者と同じ挙動を示すとは直ちに言い難いことを併せ考えれば、以上の文献の記載から本件特許権の優先日当時本件特許発明の方法を1、1―ジフエニルアクロレインと第一級アミンとを反応させ、その後の工程を経て第二級アミンであるプレニラミンを生成する被告方法に置換することが容易であり、且つそのことが容易に想到されるものであつたと判断することは困難である。かえつて、原告の右主張のとおりであるならば、1、1―ジフエニルアクロレインを出発物質の一つとする方法をも特許請求することができたはずであるのに、これを特許請求していないということは、出願人自身本件特許発明の方法を1、1―ジフエニルアクロレインを出発物質の一つとする被告方法に置換することが容易に想到し得なかつたからこそ、特許請求しなかつたのではないかと推測することができる。
(二) 右のとおりであつて、1、1―ジフエニルアクロレインを用いる被告方法は、本件特許発明とは技術的思想を異にするものというべきであつて、原告の均等の主張は理由がない。被告方法は、その余の点について検討を加えるまでもなく、本件特許発明の技術的範囲に属しないものといわなければならない。
四以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、その余の争点について判断するまでもなく、理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(高林克己 清永利亮 塚田渥)